40代で脳梗塞 病気を乗り越え楽しく生きてるオヤジのブログ

40代の7年間(43歳から49歳)で、高血圧・異型狭心症・扁桃周囲膿瘍・自律神経失調症・脳動脈解離・脳梗塞を発症。そのたびに入退院を繰り返し、人生の挫折を感じる日々。それでも明るく前向きに生きてるオヤジのブログ。病気体験談、その時その時感じたこと・行動したこと・影響を受けたことなどや、今を楽しく生きようとする自分の姿を綴っていきます。何事もあきらめません、まだまだ生きるぞ!

脳梗塞 恐怖は、ある朝突然に!

こんちは!

今回から、昨年(2017年)2月に発症した「脳梗塞」の体験記を綴っていいきます。

脳梗塞を発症してから約1年余りが経過しました。後で思い起こせば前兆はいくつかありました。不規則な生活、仕事のストレス、血圧の上昇等々。でも幸いに目立った後遺症は残らず、会社にも復職ができました。

現在は、ボチボチですが元気に働いています。これもいろいろな幸運の重なりのおかげ(?)だと感じています。これから数回に分けて体験記を書いていきます。

では・・・・・・

 

2017年2月5日(日)

真夜中、AM3時半頃に目が覚めた。

今日は5連休中の2日目。昨日は、家族と両親みんなで地元の神社に初詣とお墓参りに出かけた。1月は何かと忙しく外出する機会がなかったので、この連休を利用して出かけたのだった。

朝早く目覚めた私は、今日は何をしようか、アレもしたいしコレもしたいと思いを巡らせていると、ますます眠れなくなってしまった。

寝付くことができないので、寝室のテレビをつけた。ジャパネットタカタの通販で、吸引力の強い掃除機の紹介をしていた。それを見ているうちに再び睡魔がやってきて、テレビを消し眠り始めた。1時間ほど見ていただろうか。

 

AM7時少し前に再び目が覚め、テレビをつけベッドでゴロゴロしていた。7時半から始まった子供向け戦隊ヒーロー「ジュウオウジャー」を、ベッドの上で横になりながら見始めた。

 

7時45分頃にベッドから起き上がり、ベッド横にあるデスクへ移動。パソコンを立ち上げてネットを見始めた。

7時56分(PC画面に表示される画面でハッキリ記憶している)

急に、もやっとした嫌な感覚のめまいを感じる。(初めて経験する感覚のめまいだった)。モノが二重に見える。度のきついメガネをかけたようだ。(理科の授業で見たプリズム光線のような感じ)。右上頭頂部が、シクシクとしながら、脳みその中に浸み入るようにチクーッと痛み始めた。

座っていたイスから、滑り落ちるように腰がずれてきた。

何かおかしい・・・と、感じながら、机上で充電中のスマホをコードから外して取ろうとするが、手が思うように動かない(なんでスマホが手に取れなんだろう)。

 

ようやく手にしたスマホだったが、今度はスマホが重く感じて手から滑り落ちる。何とかしてスマホを手に取り、トイレに向かおうとした。寝室を出る前に、室内電話で3回コールする(私の寝室は2階にあり、リビングにいた家族へコールした)。

寝室のドアを開け、トイレに向かう途中で大声で嫁さんの名前を叫んだ。ろれつが回らない、思うように口が動かない、強いめまいと両手と両腕の震えが始まる。 

トイレにこもり、頭に強い痛みを感じながらおしっこをしていると、ドアの外で嫁さんの声が聞こえた。

「何? どうしたの? 大丈夫?」

トイレから出るやいなや、腰から崩れるように大きく床に倒れた。同時に、両腕と両足が大きく震え、痙攣し始めた。自分の手足が勝手に動いている、そんな感じだった。

ドンドンドン、バンバンバン、バタバタバタ・・・・・・

自分の腕と足が、床や壁を激しく叩きつけている。自分の意識で何とも止めることができない。

嫁さんはそんな私の状態を見て、救急隊へ電話をするためにすぐに1階へ降りて行った。。

 

息子(当時小1)が2階に上がってきた。私は、ろれつが回らなかくなった弱々しい声で、「パパの手を握ってくれ」と、言いながら、必死に痙攣している左手を息子に差し出した。しかし、息子は表情がこわばり、私の手を握ろうとしない。

大丈夫だから手を握ってくれと再度促すと、おそるおそる手を握ってくれた。今度はもう片方の右手を出し、握ってくれと頼んだ。いつもと様子が違うパパを見て怖がっていたが、今度は私の右手をしっかりと握りしめてくれた。

「もういいよ、ママを呼んできて」と息子に声をかけると、手を離して心配そうな表情で階段を降りて行った。

 

まだ治まらない激しい痙攣。頭の中で、漠然とではあったが(これはヤバイ・・・・・・)と感じて怖くなった。

 

救急車のサイレンの音が近づいてきた。

救急隊が私を囲み、大きな風呂敷のようなもので私を包み込み1階へ降ろす。そして救急車の中へ搬送した。救急車へ運ばれる途中、私の顔に冷たいみぞれがいくつも降り落ちてきた。

 

自宅から近くの大病院ERへ到着、すぐに処置室へ。何名かのドクター(研修医?)が周りを囲む。ストレッチャーに横たわりながら心電図、採血。そしてCTを撮るためストレッチャーに横たわったままCT撮影室へ移動。

 

検査が一通り終了し、待機室で私はベッドに横たわりながら、嫁さんと結果を待った。

この頃には、感覚はまだ鈍っていたが、手足の痙攣は治まっていた。ろれつも違和感はあるが、話すことは出来ていたと思う。ただ右頭頂部の痛みと左腕のしびれは残ったままだった。

 

しばらくして先生が待機室に現れた。

先生「採血、CTでは特に異常は見受けられない。MRIを撮るまでもないと思うので・・・・」

私「でも頭が痛いのですが・・・・」

先生「では、カロナールを点滴して少し様子を見ましょう」

 

点滴すること、約20分。

なんだか痛みも和らいだ気がしてきた。先生「炎症していたのが落ち着いたのでしょう。今日はこれでいったん帰宅していただき、同じ症状になったらまた来てください」

えっ、同じ症状。こんな嫌な痛みをまたするのかと思ったのだが、今日は日曜日、専門医がいないだろうとも思った。

何課を受診したらいいのかと、嫁さんが先生に尋ねる。

先生「脳神経外科です」

嫁さん「予約は? 紹介状などは?」

先生「ご自身で受付をしていただくことになりますが・・・・ちょっと待ってください」

そう言って先生は奥に行ってしまった。

 

再び先生が現れると、1枚の紙を嫁さんに手渡す。

「これ予約票ではないですが、これを受付で出してください。少しは外来でも早く呼んでもらえるかも知れませんよ」

すっきりしない気持ちのまま、また身体もおかしな状態のまま、診察は終わった。嫁さんと私はタクシーに乗り、病院を後にした。

みぞれが冷たい雨になっていた。タクシーの中、痙攣の治まった右手で左腕をさすりながら、窓を流れる雨跡を眺めていた。

(身体の中でいったい何が起きているんだろう・・・・・・)

見えない恐怖が、私の不安をさらに大きくしていた。自宅に戻った私は、どんよりとした頭痛と左腕の痺れが治まらない状態のまま、ベッドで休むことにした。

連休2日目はこうして過ぎて行った。

 

次回につづく

 

追記:2019年3月1日