40代で脳梗塞 病気を乗り越え楽しく生きてるオヤジのブログ

40代の7年間(43歳から49歳)で、高血圧・異型狭心症・扁桃周囲膿瘍・自律神経失調症・脳動脈解離・脳梗塞を発症。そのたびに入退院を繰り返し、人生の挫折を感じる日々。それでも明るく前向きに生きてるオヤジのブログ。病気体験談、その時その時感じたこと・行動したこと・影響を受けたことなどや、今を楽しく生きようとする自分の姿を綴っていきます。何事もあきらめません、まだまだ生きるぞ!

私、脳梗塞になりました

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こんちは。2017年2月に発症した「脳梗塞」の体験記第2回です。

前回からの続きです。

 

2017年2月6日(月)8:40 

いつも通りに起床。なんだかすっきりしない気分で頭の中がもやっとする。

腰から下が自分の脚ではないような感覚がずっと続いている。バランスがとりづらく、ぎこちない足取りではあったが自力で歩くことはできた。

 

8時40分、自宅を出発。昨日救急搬送で運ばれた大病院へ嫁さんの運転向かうことに。昨日の予約票のおかげで、待合室でそんなに待つことなく9時半頃に診察室から名前を呼ばれた。

診察室の中には、白髪で風格のある先生がイスに腰掛けていた。その方は、後で知ったのだが大学病院の教授の方だった。

問診・手足の動きを診て、MRIへ。予約外のため、その教授が電話をかけてMRIの割り込み対応をしてくれた。

(何かよくないことがあるのかなぁ・・・)と不安になった。

 

MRIを終えて検査室から出ると、そこには車イスが準備されていた。

看護師「これに乗ってください」、(何かあったな)私は直感した。

 

12時半頃、再び診察室へ。

白髪の教授は、「脳梗塞です、このまま入院です」と。教授「最近発症した脳梗塞は画面で白く写ります。コレがそうです」。教授が指差したMRI画像には、ハッキリと分かる白い固まりが、私の脳の中に写っていた。

 

教授「SCUという脳梗塞の緊急処置室へ入ってもらいます」、これも、その教授がすぐに手配してくれていた。(教授だけあって、テキパキと看護師に指示がでていた)

私は看護師たちのテキパキとした動きを見ていると、これからどうなるかという不安が襲ってきた。

別棟脳神経外科フロアの一番奥にSCUはあった。重篤脳梗塞、急性期の脳梗塞患者が運ばれる集中治療室だ。この部屋は6人部屋で大部屋のようなレイアウト。24時間看護師が常駐している。私は5番のベッド。

車イスを押してきてくれた看護師が、「急な患者がいれば、順番に入れ替わります。最長で2週間までここにいられます。夜中でも急にベッド移動してもらうことがあります。ご承知ください」、と、説明を受けた。(何というところにきてしまったんだ・・・・・・)

 

SCUに入ってすぐに、造影剤を使用して脳血管のCTを撮った。点滴は24時間点滴、ソリューゲン500g、生理食塩液250g、脳の保護の作用があるエダラボン30gを投与。エダラボンは朝6時と夕方6時の一日2回、30分の点滴である。そして24時間心電図、指からの酸素量を計る機器を指先に取り付けた。

 

嫁さんは、私のスマホから会社の上司へ連絡を入れてくれた。(驚いているだろうなぁ・・・・・・、迷惑かけるなぁ・・・・・・)

そして嫁さんは、子供たちの世話があるため、病院側のひと通りの説明を受けた後に帰宅した。

 

 ベッドに残った私は天井を眺める。もやっとしていた頭の中は、もやっとしたままであった。そして左腕がしびれている。スマホを手にしても重く感じる。腰から下は、しびれているのか、麻痺しているのか自分の脚の感覚がない。(どうなるのだろう・・・・・・)

ひとりになった私は、絶望の思いが頭の中で巡り、なかなか眠りにつくことができなかった。

 

次回へつづく・・・・・